コロナ渦での妊娠・出産はとても大変でした。
デルタ株が広く蔓延した2021年7-9月にかけて、コロナ渦で妻が里帰り出産をしました。夫目線での経験談を綴ります。
里帰りのタイミング
私たちは妊娠28週の検診後に里帰りを決行しました。
時期は新型コロナウイルスの感染拡大状況と妊娠検診の兼ね合いを慎重に見定め、決定しました。
「この日がベストだ」というタイミングで決行し、結果的に後から「あの時里帰りしておいて良かった!」と思いました。
交通手段はレンタカーです。
居住地から妻の実家までは200km弱あります。そして私は車を所有していませんので、レンタカーを使用しました。
妊娠28週ということもあり、トイレが近いため少し遠回りでも良いのでなるべく混雑が少なく、且つ一定の距離でサービスエリアのあるルートを選択しました。
里帰り後は順調に妻の体調・お腹の赤ちゃん共に安定した状態でした。
突然発症した妊娠高血圧腎症
妊娠32週頃、尿蛋白が検出され、同時に血圧が上昇していきました。入院し経過観察を行っていましたが、悪化の一方です。
結果、33週の終わり頃に「妊娠高血圧腎症」と診断されました。
妊娠高血圧腎症とは
妊娠時に高血圧を発症した場合、妊娠高血圧症候群といいます。妊娠前から高血圧を認める場合、もしくは妊娠20週までに高血圧を認める場合を高血圧合併妊娠と呼びます。妊娠20週以降に高血圧のみ発症する場合は妊娠高血圧症、高血圧と蛋白尿を認める場合は妊娠高血圧腎症と分類されます。
妻は健康面への意識が非常に高く、栄養面も常に気にかけていました。私はそのような姿を見ていて安心していたため、驚くばかりでした。
どんなに健康で異常が無くても、妊娠高血圧症候群は突然起こります。
注意しておくことに越したことはないと学びました。
何もできないことへの葛藤の日々
電話やLINEで妻とやり取りする中、日に日に妻の身体が悪化していることを知ります。
むくみによる体重増加、食欲不振、毎日の点滴など聞いているだけで涙が出ました。
まだ33週であるため、赤ちゃんには肺呼吸機能が出来上がっていません。
ある時、いつ緊急帝王切開になっても良いように、肺機能の成長促進剤(ステロイド)を注射しました。
このような話を電話やLINEで聞くのみで、何もできない自分に苛立つばかりでした。
本当なら病室に行って励ましてあげたい、辛い話をたくさん聴いてあげたい。
そんな気持ちで胸は溢れかえりました。
コロナ渦ゆえ、県外在住者は病室はおろか病院に立ち入ることさえもできません。
「夫の存在価値が試される」
強くそのように感じました。
久しぶりに書いた手紙
自分にできることを考え、病院経由で妻宛てに手紙を書きました。
私達夫婦は結婚以前からお互いに手紙を書いて気持ちを伝えることを節目節目に実施していたため、それを実行しました。
書いていると、様々な感情が湧いてきてペンを持つ手が止まらなくなりました。
医師からの説明
34週5日目、妻の担当医から電話で説明がありました。
「奥さんの身体は限界に近付いています。とは言え、まだ35週手前なので赤ちゃんにはできるだけ長くお腹の中に居てほしいです。そのため、母体と胎児の状態を見極め、ベストなタイミングで帝王切開となる可能性が高いです。当日、緊急で判断することもありますので連絡が事後になる場合もございます。」
このように説明を受けました。
私の心の中では徐々に準備ができていたものの、「妻と赤ちゃんが無事であれば何でも良いです。よろしくお願いします。」と返事をすることしかできませんでした。
妻の容態は限界に近付いており、電話越しに聞こえた「早く赤ちゃんを出してほしい」との弱々しい声が今でも鮮明に覚えています。
34週6日で出産
医師からの説明の翌日の朝、妻から「今から赤ちゃんを出す」と連絡がありました。
遠く離れた地から妻と子供の無事を祈り続けました。
午前11:15、第一子となる女の子が誕生しました。
1,726gの低体重児ではあったものの、とても元気が良かったとのことでした。義母から連絡と写真を頂き、私は妻と娘への感謝の気持ちと感動で涙が止まりませんでした。
仕事中でしたが、離席してトイレで1時間近く泣いてしまいました。
嬉しさよりも、妻と娘への「ありがとう、お疲れ様」という気持ちの方が強かったです。
妻はICUで数日、娘はNICUで1ヶ月を過ごすこととなりました。
ICUではスマートフォンを使用できないことから、妻がICUにいる2日間は妻とは音信不通でした。
この2日間、妻と娘が無事かどうか心配で心配で胸が張り裂けそうになりました。
出産から3日後、ようやく妻と電話で会話できました。
この時の安心感は言葉で言い表すことができません。出産からおよそ10日で妻は退院できました。
夫にできることは全てやる
この間、夫の私はできることを全てやろうと決意しました。
具体的には、少々面倒な役所手続きや書類関係です。
妻に記入してもらうものについては、妻の負担を最小限に抑えようと考えました。
インターネットから出生届等の実物の写真をダウンロードし、画像処理ソフトで記入例のテキストを打ち込み妻に送信しました。
(この方法、妻からすごく感謝されました。)
この時、たまたま長期出張と重なっており手続きは全て郵送で行いました。
出生届
病院で用紙をもらい、妻にて記入後里帰り地の役所に提出しました。提出した出生届けは住民票に記載されている住所の市役所へ送付され、その後正式に登録が完了します。この間、実に1週間を要しました。
出生連絡届出書
住んでいる自治体は「出生連絡届出書」というものがあり、これが低出生体重児の届出と兼用となっておりました。妻に記入してもらい、郵送しました。
児童手当申請書
用紙を市役所のホームページからダウンロードし、印刷して私にて記入して郵送しました。
未熟児養育医療給付
娘は2,500g以下の低体重児であったため、未熟児養育医療給付の対象でしたので、申請しました。
こちらは7種類の書類が必要となり、病院に作成してもらう書類以外は私で記入しました。
7つの書類のうち1つの「養育医療意見書」を病院に提出してから返ってくるまでに時間を要し、退院翌日に直接市役所に提出することとなりました。
住民票の発行
こちらは務めている会社に提出するために必要となりました。出生届提出から7日後、マイナンバーカードを利用してコンビニで取得しました。この時、マイナンバー未記載とものと記載のものをそれぞれ取得しました。
マイナンバーの通知が来るまで3週間を要すると言われたため、ダメ元でマイナンバー記載の住民票を取得したところ、娘のマイナンバーが記載されていました。
扶養追加の手続き
務めている会社で実施しました。務めている会社は全てが電子化されているため、とても助かりました。
役所関係は書類が多く、何かと不便です。
デジタル庁もできることですし、これを機に全て電子化して頂きたいものです。
娘の退院
産まれた時は1,726gだった娘は1ヶ月で2,200gまで成長し、産まれてからおよそ1ヶ月で退院となりました。
ここまで娘が成長してくれ、嬉しい限りです。
搾乳した母乳を毎日病院に届けてお世話をした妻、そして24時間休みなしで面倒を見てくれた病院のスタッフには感謝してもしきれません。
本当にありがとうございます。
試される夫の価値
今回はコロナ渦での里帰り出産の経験を紹介しました。
コロナ渦では、病院への立ち入りに制限があり夫のできることに限りがあります。里帰り出産となると、尚更です。
夫の存在価値が試されます。
どのような環境下であっても、「自分にできること」を模索して実行することが大切なのではないかと思います。
「何もしない」のであれば、それがその人の存在価値です。
「自分にできることを模索して実行する」のであれば、それがその人の存在価値です。
結局は「受け身か自分で主体的に行動できるか」の問題です。
インターネットが発達した現代においては、たいていのことは検索エンジンを用いて調べれば答えが出てきます。
答えがなくても、ヒントとなる情報をかき集めて自分自身で考えることもできます。
どのような場面であっても「自分にできることを積極的に行う姿勢」を忘れず、この経験を今後の人生の糧にしていきたいと思います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。